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2005/01/24

「フリーダ」

遅ればせながら「フリーダ」を観る。
DVDの特典映像にジュリー・テイモア監督のコメンタリーが入っていて、最初に観てよく理解していなかったところや監督のこだわり、主演のフリーダ役のサルマ・ハエックの役作りについての解説を聞いてもう一度観てしまった。
(おかげで延滞してしまったほど)

フリーダ・カーロという画家のことは、恥ずかしながらよく知らなかった。
なんか年上の有名な画家のところに押しかけ女房した人よね?ぐらいの認識で。
生涯通して若いときの事故の後遺症に苦しみながら夫を愛し、ままならぬ想いをぶつけるように描き上げた数々の作品。
それらが3Dから2Dへ、とくにその逆へと画面処理されて幻想的にインサートされる。
それがこの映画の雰囲気とマッチしていてよかった。

面白かったのは、監督が「資金がなかったからこうしたの」という工夫が多かったこと。
ニューヨークロケができなかったから、モノクロの当時のニュース映像でモンタージュをつくったとか。
まさに必要は発明の母というわけだ。

フリーダ役のサルマ・ハエックは、現在37歳。収録当時は35ぐらいか?さすがに16歳には無理がないこともないが、その表情なとは少女に見える。
死ぬ間際の47歳では本当にその年に見える。
女優ってスゴイ。
そして、フリーダは、芸術家である前に一人の女だったのだろう。
あんな情熱的で真っ直ぐな生き方、簡単にはできないからこそ憧れる。

女とセックスすることは、息をすることと同じ、握手よりも心がこもってないと言い張る夫との結婚生活は心おだやかではなかったフリーダ。
バイセクシュアルで夫の愛人とも寝ていたというのは、本心からだったのだろうか。
そんな彼女がロシアから追放されてきた革命家・トロツキーとの束の間の不倫の恋をする。

彼とのラブシーンはとても優しく描かれていて、夫との差異を表していた。
例えば、そのトロツキーとのベッドシーンは、トロツキーのはずした眼鏡越しに撮られている。
それが、眼鏡をはずし(=我を失い)フリーダとの危険な恋に溺れるトロツキーの立場や不安定を意味している、なんてことは監督の話を実際に聞かなきゃ見過ごしてしまうところ。
こんな話が聞けるので、ついついコメンタリーで二度観てしまって延滞しちゃうのだ。

映画全体を貫くメキシコの色、鮮烈な赤と緑。
あれを観ていたら、強烈に辛いメキシコ料理を本場で食べてみたくなった。

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