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2004/09/12

表現

新聞を読む暇がなくて、とうに古新聞と化したのに捨てられない新聞が積み重なっている。「谷金メダル」なんて記事をめくる私の中ではいまだにオリンピックは終わってない。とほほ。そうやって古い新聞をサッと目を通していたら、担当した番組の担当したコーナーへの視聴者の感想発見。「感動した。生きる力がわいてきた」とある。まあ嬉しい。もっともそれは取り上げた取材対象者の女性がすばらしいということなんだが。

彼女は完全に生まれた時から耳が不自由な人だった。母との二人三脚の末、口話(唇を読んで発声し会話する)を学び、さらには舞台女優として、ダンサーとして活躍している人。「聞こえなくてよかった。だって聞こえてたら平凡な人生だったと思うもん」と軽やかに笑っていたインタビューが印象的だった。

ところで、こういういわゆる身体のどこかに“障害”を持っている人を番組で取り上げる時って、実はひそかに私なりにこだわりがある。それは例えば、上記のケースだったら「聾唖」という言葉を使わないこと。そのかわり「聞こえない世界にいる」「音のない世界」とか、そんなふうに表現する。「盲目」だったら「光のない世界」とか。「身体障害者」とかなんか一言で決めつける言葉がイヤなのだ。それをソフトに表現したからといって何が違うというわけでもない。番組サイドにやめてくれと制限されているわけでもない。同じ番組内の他のコーナーで使っていれば、番組としては変わりがない。でも、少なくとも私が台本やナレーションを書く時にはひそかに徹底的に気をつけている。「障害者」「聾唖」「盲目」とか一言で片づけた瞬間に、なんだか妙な烙印を押してるような気がして仕方ないのだ。ちょっとぐらいどこかが不具合だって、それはその人の個性のはずだから。

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